“Yakekyou(Burned Sutra) / Farewell Fragments (Conservation the letters that never send and the pains that never healed.)(2011~)
材料・技法:
血液・膠から作成したプルシャンブルーで染めた手紙
銀泥、膠
薄美濃紙(裏打ち)
澱粉糊(裏打ち)
2010年末の在学時、私は就職活動中に受けた性暴力被害で心身の調子を崩し、以降、抑鬱や希死念慮を繰り返しながらかろうじて生きていました。
当時は性暴力被害や精神的な不調に対する救済措置も少なく、また、偏見も強い時代でしたので家族からの理解も得られず、周囲からの好奇の目に苦しんでいました。閉じこもって休みたいとの思いもありましたが、当時まだそれらは「甘え」として許されない風潮がありました。
2011年3月に発生した東日本大震災を目の当たりにした時、たまたま「生き残ってしまった」自分の命をどうするかと考え、これまでアーティストとして行っていた表現ではなく文化財レスキューを選びました。被災地で見た光景は筆舌に尽くしがたく、その後の制作や進路に大きな影響を与えました。その時に制作した作品の一つがこの「焼経/断簡(出せない手紙、消えない痛みを繕う)」でした。
表現ではなく研究や実務の現場を選んだことに対しては、アーティストとして失格だ、との声もありました。しかし、私自身は文化芸術を未来につなぐことについて、アートとしての表現も文化財レスキューなどの実務も分断されているものではないと考えていました。「今」必要なものと、「未来」に必要なものと、時間軸が異なるだけで表裏一体であると思います。
文化財の修理は、文化財の分野にもよって異なりますが基本的には元あった損傷や破損をできる限りそのままの形で残し、損傷した箇所を見えないように塗ったり補ったりはしません。
また、できる限り文化財に使われているものと同じ素材や可逆性(何かあったときに取り除いたりできるもの)を使用して修理をします。これは、オリジナルの形を尊重し、将来的に文化財が再び劣化した時やより良い保存方法が研究された再修理を行う際に過去の修理の痕跡を見分けて取り除くためでもあります。
文化財における修復は、傷を新しく蘇らせたりするのではなく、傷に伴走して延命するのに近いのかもしれないと、かつて文化財修復の現場で学びました。
『焼経/断簡(出せない手紙、癒えない傷を繕う)』も、損傷箇所への補彩等は基本的に殆ど行いません。新たに付け加えて新しい形にすることもありません。損傷を晒した姿は痛々しくもありますが、モノとして痛みを身体から切り離す作業としての作品の形です。
痛みを手放す作業としての側面もあるこの作品に「自分もやってみたい」との声があったことから、プロジェクトとして参加者を募るようになりました。
消えない痛みを治すことはできませんが、繕いの形を通じて寄り添っていくことができればと思います。